英会話ができるということ:喋る能力と読む能力の違い [英語の習得]
こんにちは!
埼北ギターリストです。
40年前に会社から木材保存関連の学会(ドイツのベルリン)に
参加することを命じられたことが英語を真面目に習得しなくては
と思ったことを伝えました。
当時は、微生物劣化関係の企業や大学、研究機関の研究者が
参加していました。
学会が終わってから、ドイツのデユセルドルフ、スイスのチューリッヒ
フランスのパリ、イギリスのロンドン、マンチェスター、
オランダのアムステルダムなどの企業や研究施設を訪問しました。
その時に通訳をお願いしていたのは、現地に在住している日本人で
それは酷いものでした。流暢に英語を操れるという以前のレベルで
よくこの仕事を引き受けたものだと驚きました。
技術系の用語や研究の基礎的な用語について、全く知識がなくて
日本人のツア―参加者の日本語を全く英語に訳せなくて
見ている方がハラハラするくらいでした。
参加者の一人である大学の先生が思い余って、
自分で英語で質問してみようと心がけたのですが見事に惨敗しました。
この状況を見ていて自分は、何もできなかったのが非常に悔しかったです。
有名な大学の先生が、本当に基礎的な技術内容について
質問できないという英語力、本当に日本人は
英語ができないのだと実感しました。
大学の先生に有りがちなことですが、「文献を読める」⇒「英語が得意」
というような間違った先入観があったのだと思います。
勿論、難関大学を突破して大学の先生になるのだから
博士号も取得しており、その際は英語が必須になります。
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本当は英語ができないはずだと思うのですが
実際には、簡単な質問さえできないという現実に気づいて
本人も愕然としていたことを思い出します。
この出来事は、英文を読むことができても、喋れないという
厳然とした事実を伝えているだけなのです。
英文を読むというのは、かなり時間をかけて内容をしっかりと
理解することが基本だし、そうではないと知識を吸収することができません。
書かれたものを理解するには、時間がかかってもしょうがないと思います。
英語の読解力を高めていけば、見ただけで瞬間的に
理解できるようになるかもしれません。
日本人が英語ができるというレベルは本当に様々だと思います。
物凄く、時間をかけて辞書を引きながらなんとか日本語にするという
日本独特の学校での英語の授業スタイルですが、
短い英文を、ことごとく日本語に完全に訳していくというスタイルが
日本人の英語嫌いを助長していると思います。
逆に日本語で書かれた文章では、瞬時に内容を理解できると
思いますので、ここで英文理解に時間がかかるということの問題点が
明らかになると思います。
前述の大学の先生は、書かれた英文を見て瞬時に内容を理解する
という日本語並の理解力がなかったことに対して気付いていなかった
ということです。
英文を読める(時間をかければという前提で)⇒英語が喋れる
という誤解があったのではないかと推察されます。
さらに、もし瞬時に英文を理解できるレベルであった場合ですが
今度は次の段階として
喋るという能力についての課題が明らかになってきます。
日本語のイメージで言いたいことを、瞬時に英文にするという
訓練ができていないと日本語⇒英語の変換に物凄く時間が
かかり、会話というものが成立しなくなってしまいます。
相手があるので、何か言いかけて相手が聞き耳を立てているときに
何も言えなかったとしたら、「何だ!こいつは?」となってしまい
結局、気まずい思いをして黙ってしまうというパターンになります。
もし、あの先生が聞きたい内容に関して単語だけでも羅列していれば
相手の方が英語が得意なのだから言いたいことをくみ取って
ちゃんとした英文で答えてくれたかもしれません。
私は、この経験を通して読む能力(目からの情報の理解力)
聴く能力(耳からの情報の理解力)、書く能力(作文能力)そして
喋る能力(英語の瞬時の作成力+発音力)が連携して
英語が喋れるようになるあるいは英会話ができるようになる
という意味だと理解しました。
巷でよく言われている言葉で「日常会話はできるんだよね!」
という話を聞きますが、話題が一定していない状況では
物凄い語彙力と表現力が必要になってきます。
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埼北ギターリストです。
40年前に会社から木材保存関連の学会(ドイツのベルリン)に
参加することを命じられたことが英語を真面目に習得しなくては
と思ったことを伝えました。
当時は、微生物劣化関係の企業や大学、研究機関の研究者が
参加していました。
学会が終わってから、ドイツのデユセルドルフ、スイスのチューリッヒ
フランスのパリ、イギリスのロンドン、マンチェスター、
オランダのアムステルダムなどの企業や研究施設を訪問しました。
その時に通訳をお願いしていたのは、現地に在住している日本人で
それは酷いものでした。流暢に英語を操れるという以前のレベルで
よくこの仕事を引き受けたものだと驚きました。
技術系の用語や研究の基礎的な用語について、全く知識がなくて
日本人のツア―参加者の日本語を全く英語に訳せなくて
見ている方がハラハラするくらいでした。
参加者の一人である大学の先生が思い余って、
自分で英語で質問してみようと心がけたのですが見事に惨敗しました。
この状況を見ていて自分は、何もできなかったのが非常に悔しかったです。
有名な大学の先生が、本当に基礎的な技術内容について
質問できないという英語力、本当に日本人は
英語ができないのだと実感しました。
大学の先生に有りがちなことですが、「文献を読める」⇒「英語が得意」
というような間違った先入観があったのだと思います。
勿論、難関大学を突破して大学の先生になるのだから
博士号も取得しており、その際は英語が必須になります。
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本当は英語ができないはずだと思うのですが
実際には、簡単な質問さえできないという現実に気づいて
本人も愕然としていたことを思い出します。
この出来事は、英文を読むことができても、喋れないという
厳然とした事実を伝えているだけなのです。
英文を読むというのは、かなり時間をかけて内容をしっかりと
理解することが基本だし、そうではないと知識を吸収することができません。
書かれたものを理解するには、時間がかかってもしょうがないと思います。
英語の読解力を高めていけば、見ただけで瞬間的に
理解できるようになるかもしれません。
日本人が英語ができるというレベルは本当に様々だと思います。
物凄く、時間をかけて辞書を引きながらなんとか日本語にするという
日本独特の学校での英語の授業スタイルですが、
短い英文を、ことごとく日本語に完全に訳していくというスタイルが
日本人の英語嫌いを助長していると思います。
逆に日本語で書かれた文章では、瞬時に内容を理解できると
思いますので、ここで英文理解に時間がかかるということの問題点が
明らかになると思います。
前述の大学の先生は、書かれた英文を見て瞬時に内容を理解する
という日本語並の理解力がなかったことに対して気付いていなかった
ということです。
英文を読める(時間をかければという前提で)⇒英語が喋れる
という誤解があったのではないかと推察されます。
さらに、もし瞬時に英文を理解できるレベルであった場合ですが
今度は次の段階として
喋るという能力についての課題が明らかになってきます。
日本語のイメージで言いたいことを、瞬時に英文にするという
訓練ができていないと日本語⇒英語の変換に物凄く時間が
かかり、会話というものが成立しなくなってしまいます。
相手があるので、何か言いかけて相手が聞き耳を立てているときに
何も言えなかったとしたら、「何だ!こいつは?」となってしまい
結局、気まずい思いをして黙ってしまうというパターンになります。
もし、あの先生が聞きたい内容に関して単語だけでも羅列していれば
相手の方が英語が得意なのだから言いたいことをくみ取って
ちゃんとした英文で答えてくれたかもしれません。
私は、この経験を通して読む能力(目からの情報の理解力)
聴く能力(耳からの情報の理解力)、書く能力(作文能力)そして
喋る能力(英語の瞬時の作成力+発音力)が連携して
英語が喋れるようになるあるいは英会話ができるようになる
という意味だと理解しました。
巷でよく言われている言葉で「日常会話はできるんだよね!」
という話を聞きますが、話題が一定していない状況では
物凄い語彙力と表現力が必要になってきます。
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2016-01-04 11:35
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