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就職してからの野球の思い出 [スポーツ]

こんにちは!

埼北ギターリストです。

京都の大学・大学院を修了してから直ぐに
群馬県の伊勢崎市の木材関係の会社に就職して中央研究所に
赴任しました。
就職した動機は、研究生活ができることが一番でしたが
その時の研究所長が京大の野球部出身で、会社でも野球ができる
ということも大きな理由でもありました。

実際に、就職してからも暫くは、会社がある工業団地内の会社と
練習試合をしていましたし、地域の草野球大会にも出場していました。
工業団地にある企業は一部上場企業の向上や研究所が多く、
そこの野球部は、甲子園に出場したという強者も多く、まともには
とても歯が立たない連中でした。

研究所長が投げたり、私が投げたりして勝ち負けは別として
本当に楽しかったという思い出がたくさんあります。
でも3年くらい経過して研究所長が転勤で東京の営業部長で
いなくなってしまい、野球部は自然消滅してしまいました。

研究所がある同じ敷地に群馬工場があり、群馬支部として
社内のレクレーション活動が時々あったくらいで野球部という
スポーツ活動は全くありませんでした。




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3年ぐらいたったときに全社的にレクレーション活動を推進する
という本社の方針が打ち出され、北海道、東北、新潟、群馬、大阪
広島そして福岡、熊本でそれぞれの支部としての活動を支援する
という動きが活発になってきました。

そのおかげで、群馬支部が最も人数が多く、若者も多かったので
野球部ができました。
この野球部ができたことで初めて本格的な野球活動ができました。
会社の近くには運動公園があり、テニスコートと野球場が2面
あり、毎日の昼休みには野球の練習ができました。

当然のことながら私も30歳そこそこでしたので投手をしました。
毎日昼休みにバッテイング投手として投げ込んでいたので
体重も60キロ台で今よりも随分痩せていました。
それこそ食べ過ぎて70キロにでもなろうものならダイエットで
60キロ台まで必死になって落としたものです。

今から35年くらい前のことですから運動不足は辛いですね、
でもその時は真面目に練習をして試合の結果も良くて
勝ち抜いて市民球場での試合も行いました。

あまり正確な記憶はありませんが、野球部は6年間くらいは
続いたような気がしますが、メンバーが40歳に近くなると
段々と参加者が少なくなり、若手が入って来ても野球をする人が
いなくなり結局、自然消滅してしまいました。

野球の投手の寿命は短いですね。
自分ではまだまだ大丈夫だと思っても周りがそうではないと
判断するので出番がなくなってしまい結局、他のポジションでは
面白くないので引退することになってしまいます。

会社の野球部が自然消滅してからは、ほとんど野球はしなく
なりましたし、結果として5キロ、10キロ、15キロと
段々と体重が増えました。

大変ですからそろそろダイエットしなくてはといつも思って
いる今日この頃です。




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